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・逃亡者

「……ですから、私は一週間も店長の顔を見ていませんし、給料が払われる予定もないし、ほんとうに困っているのです。あのひと、ちょっとほら……。頭おかしいですよね? やっぱりやったなあ、という感じですよ。まったく、ひとかけらの同情もわきません。ウジ虫のようなものですよね。ここだけの話ですが、あの人……チンチンが長いのだけが自慢なんですよ!うへぇ!最低の人間ですよね?」と、愚痴をこぼしているのがわれらが珍保長太郎の手下のバカこと新実大介。ラーメン珍長に北沢署から刑事青赤がまた来ているのである。ウンコキラーの新たなる犠牲者が見つかったとかなんとか。
「はあ、そうですかね? 私の見たところでは、あなたは店長をグルのように崇拝しているように見えましたけどね? 尊師みたいだな……とあなた方の関係を見て思いましたよ。尊師ってわかりますか? あれですよ、麻原彰晃。私は地下鉄サリン事件の時は、捜査本部にかり出されていましたからね。あれ以来、弟子みたい人が言うことは一切、信用しないようにしているんです。あんた、ほんとはウソをついて、かばっているんじゃないか?」刑事青が不審な目でバカを見つめる。バカは不快な気分になり、真正面から警察官の目を見て言った。
「いいえ、神に誓ってウソは申しておりません。クズはクズ。犯罪は犯罪です。必要とあれば、いくらでも店長の顔写真を足で踏みつけて見せましょう。ニヤニヤ笑いながら、上で踊って見せますよ」と断言するバカ。
「では、また確認しますが、店長からはまったく連絡は来ないし、顔も見ていないと断言するのですね? 犯人をかばうと偽証罪で刑務所に入れられますが、それでも構わないと、おたくは言うのですか」
「もちろんですとも」キッパリと言い切るバカ。「ところでお二方、ラーメンを食べて行きませんか。店長がいない間、給料が出るあてがないので、自分で勝手に作って出してるんですが、店長が作るよりはるかにうまいと好評ですよ。店長をバカにするわけではないですが、あの人、料理下手ですからね」
 刑事青赤はどうしたものかと顔を見合わせたが、ちょうど腹が減っていたのでここで食っていくことにした。
「では、いただこうか」
「へーい」

 意外とふつうにうまいラーメンだったので、満足して出ていく刑事青赤。にこやかに店の前に出て見送るバカ。刑事青赤が代田橋商店街を進み、角を曲がって見えなくなると急に厳しい顔に変わる。彼らが自分を騙しこっそりと戻ってこないか、しばらく待つ。珍保長太郎のザルのようなおおざっぱな性格と違い、バカは用心深い。
 これなら大丈夫と判断してから店内に戻り、戸に鍵をかけて『休憩中』のふだをぶらさげる。バカはカーテンを閉めて二階に上がった。ラーメン珍長の二階は物置に使うような場所だったが、珍保長太郎は金がないので賃貸規則をやぶって、ここに寝泊まりしていた。ろくな家具もない部屋に、不潔な布団と収納家具代わりのダンボール箱が置いてある。だが、今日は二階には珍保長太郎の姿は見えない。
 バカはさらに踏み台を出して天井裏に入る戸を開けた。電気工事の人などが、配線工事をするための入り口である。中からホコリと蜘蛛の巣にまみれた珍保長太郎が出てきた。
「きさま、俺をそんな風に思っていたのか。いかにも人を殺してもおかしくない狂人と言ったな……」機嫌が悪い珍保長太郎を見て、バカはギョッとした。
「えっ……、店長。どうしてそんなことまで聞こえるんで?」
「いいか、ここに配管があるだろう。電話線やらLANケーブルなどを通すための管だ。これが一階の厨房の脇まで伸びている。この管に耳を当てていると、お前が俺の悪口を言ってるのがぜんぶ聞こえるという寸法だ……」
「げげげげげッ!」うろたえるバカ。安心しきって、日常の不満をぜんぶ言ってしまったらしい。
「しかし、店長。そんなスパイのようなまねをしている時ではないですよ。本当に危険がせまっています。やばいですよ。刑事たちが言っていたことを聞いたでしょう。かんぜんに犯人扱いですよ。いちおう『犯人扱い』と言っておきますが、ほんとうにやってないんでしょうね?」たくみに話題をそらすバカ。卑怯な人間なので、頭がこずるいのである。もちろん、珍保長太郎はかんたんに策略に引っかかり、別なことを考え始めた。
「もちろん、やっていないとも! 俺がじつは夢遊病で知らん間に女の口にウンコをつめて回ってるのではない限り!」自信をもって断言する珍保長太郎。
「まあ、ほんとうはやっていても私はかまわないんですけどね。いかにも、やりそうな感じですからね。それはともかく、店長、臭いですよ! 糞尿垂れ流しでしょう。とうぜん、一週間も風呂に入っていないでしょう。これじゃあ姿は隠れていても、匂いで見つかってしまいますよ」
「とはいえ、銭湯に行くわけにはいかない。ウンコはバケツに出して、たまったら人がいない時を見計らって、下の便所に捨てているが、それでも生のウンコがそばにあるんだから、臭いことはこのうえもないな」
「ああ、臭い臭い……」鼻をつまんで店長の周りを回るバカ。バカのくせに神経質なので、悪臭にはがまんができないのである。さいわいに、ここはラーメン屋なので巨大な鍋があった。それでお湯を沸かして、珍保長太郎は入ることにした。
「50男のスープだな」食欲をなくすようなことを言う珍保長太郎。とくにコメントは浮かばなかったので、バカは聞こえないふりをした。
「一週間隠れていたが、このまま天井裏で10年間、隠れ住んだのちに病死してホコリと一体化してしまうのも酔狂でいいかもしれないが、そうも言っていられないので、どうにかしなくてはならない」頭の中で考えていることがそのまま口に出てしまう珍保長太郎。近代化以前の日本人と同じく、頭の中だけで思考することができないのである。
「でも、どうするんです。店長」
「犯人を見つける」
 または、別な誰かを犯人に仕立て上げるという手もあるな……、と珍保長太郎は思いついて、さりげなくバカの横顔を見た。こいつは、いつ死刑になって死んでもまったくおしくない人間だ。だが、あまりヒントをあたえて警戒されては困るので、珍保長太郎は目をそらして、なにも考えていないふりをした。
 動物のように神経の鋭いところがあるバカは、にわかに背筋に冷たいものが走るのを感じて、店長の顔を見た。注視していると、わざとらしく視線をそらした。バカは不安になったので、夜道と背後には気をつけようと、心の片隅にメモをした。

 夜になった。出歩いても大丈夫だろうと判断して、珍保長太郎は業務用自転車『チンポ号』に乗って走り出した。刑事青赤が心配だが、やみくもにばったりと犯人にでくわすことを期待して、24時間、代田橋をうろついているわけではあるまい。交番の前を通る時は気をつけたほうがいいかもしれないが、道端で職務質問されない限り大丈夫だろうとふんだ。
 お巡りに見つかって職務質問された時の用心に、珍保長太郎は懐にナイフをしのばせていた。相手が一人なら殺してしまえばなにも問題はない。暗闇の中で珍保長太郎は悪魔のように笑った。黒い猫が道路を横切る。
「とりあえず老人ホーム『天国の門』に行くか。ミザリーのものらしいリボンが現場に落ちていたからな。だがしかし、リボンを突きつけても自供をしたりはしないだろうな。どうしたものか……」旧式の重たい自転車に乗って、ブツブツ言いながら走っている大柄な中年男。いかにも怪しい。しかも、ふところにはナイフ。いつでも警察官を殺す覚悟はできている。その目が狂気で光った。

ハムスター

あらすじ

代田橋でウンコを口に詰めて殺す『ウンコキラー』による連続殺人が起きていた。犯人だと疑われたラーメン屋店主、珍保長太郎は真犯人を見つけるべく、孤独な戦いを始めた!

登場人物

珍保長太郎 :『ラーメン珍長』店主
バカ :新実大介
刑事青赤:
刑事青、青田剛
刑事赤、赤井達也
ミザリー、神保千穂
キャリー、小杉浩子
死にかけ老人、大山田統一郎
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