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・人間の心

 ラーメン珍長。
 開店前にキャリーこと小杉浩子が、珍保長太郎を訪ねてきた。キャリーは腐敗した豚の脂と血でべとべとになった店内を見て顔をしかめた。
「汚い……」
 キャリーは潔癖性だった。
「確かに関東一清潔だとは言いがたいことは確かだ」
 珍保長太郎は力強く答えた。
 「いつも出前だったので店に来たのは初めてですが、これは好きになれそうにありません」
「うーむ」
 答えようがないので珍保長太郎はうなった。
 キャリーの証言でウンコキラーの正体は死にかけ老人こと大山田統一郎だとわかった。珍保長太郎の疑いは晴れた。だが、こんどは大山田老の目玉にウンコを突き刺して殺したのは誰か? ということが問題になった。
 キャリーはこの部分は気絶して見ていなかった、と警察には証言していた。
 刑事青赤は、北沢警察署をゆうゆうと出て行く珍保長太郎を悔しそうに睨みつけた。
 ミザリーこと神保千穂の死体が出てくると、話はまた違ってきそうだが、現時点では神保千穂は、ウンコキラーがらみの消息不明案件とされていた。おそらく、死体はいまごろ玉川上水のアカミミガメと鯉の胃の中であろう。
「命を助けてくれてありがとうございます。あなたに言われた通りに警察には話しましたがこれで良かったかしら?」
「たいへんにけっこうです。なにしろ、私は警察とは相性がよくありませんからね。疑われてきびしく追求をされるといくらでもボロが出てくるこの身。本当なら15回くらいは死刑になってもおかしくはありません。猫ではないのでそれでは死んでしまいます」
「それにしてもラーメン屋が殺人鬼だなんて……。にわかには信じられません」
 キャリーは困惑した顔で店長を見た。
「人間の心というものは奥が深いものです」
 わかったようなわからないことをつぶやく珍保長太郎。おそらく、とくに意味は考えないで言ってると思われる。
「ああ〜」
 よだれをだらだらと垂れ流しながら、バカがうつろな目で奇声をあげる。公園で女装していた男だ。服装を見るとここの店員のようだが目つきがおかしい。キャリーはおびえてあとずさった。
「彼はどうしたんですか?」
「これは店員のバカです。心労が重なり、とうとう人格が崩壊してしまったのです。変な声をあげて店内をうろうろするだけなので、毎回、帰すのですが、それでも毎朝、出勤してくるのです。おそらく、心の中ではなにかがループしているのでしょう」
 珍保長太郎は神妙に答えた。
「ウンコキラーにウンコで刺されてしまった女装の人ですね。そのショックで立ち直れなくなってしまったんでしょうか? そういう意味ではこの方もウンコキラーの犠牲者の一人ですね……」
 キャリーは介護士なのでかわいそうな人間には同情的だ。
「もちろん、そうですッ! その通りですッ! かわいそうなバカくんッ!」
 珍保長太郎の答えは性急すぎて、かつ強調が多すぎた。
 キャリーはしばらくの間、疑いの目で珍保長太郎を見ていたが、けっきょく、なにも言わないことにした。
「ほげほげ〜」
 バカは冥府をさまよっていた。

 キャリーは帰っていった。いちおう、お礼のつもりでラーメンでも食うつもりだったが、店内を見て食欲をなくしたのでやめた。二度とここに出前を頼むのはやめようと、心に誓った。
 
 代田橋商店街の道路を去っていく若い介護士を見送る珍保長太郎。ほこりっぽい風が吹いて、彼女のスカートの裾がひるがえった。夏の空気に秋の気配が感じられた。
「今日もいい天気だ」
 珍保長太郎は蛇のように笑って店内に引き返した。それからバカを追い出して、開店の準備を始めた。



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・フィッシング

 日が暮れた。
「うがあ……」
 バカは無気力になっていた。脳みその一部を摘出したロボトミー患者のように、うつろな存在になった。心が壊れてしまったのである。
 珍保長太郎は、そのバカの服を脱がせて、素っ裸にした。ホモっ気はないので少しも興奮はしない。
 それから、業務用自転車『チンポコ号』で環状七号線沿いのドン・キホーテに行って、適当なセクシーランジェリーと化粧品を買ってきた。バカにそれを着せて化粧をした。
 バカは人形のようなうつろな目で珍保長太郎のやることを見つめていた。からっぽの世界だ。少しも抵抗するそぶりは見せない。今なら、さりげなく腹の肉を引き裂いで、ぬるぬるした内臓を引きずり出しても、だまってやられていることだろう。
 それもちょっと試してみたかったが、初志貫徹。余計な娯楽はやらないことにした。
「いいかバカ。お前は餌だッ!」
 夜がふけてから、珍保長太郎はバカを羽根木公園に連れ出した。なるべく、ひとけのなさそうな場所を探して、手首を縛って地面に座らせた。
「動いたら殺す。お前はウンコキラーに女と間違われて襲われて、むざんにもウンコを食わされて死ぬのだ。死んだのを見計らってから、俺がウンコキラーを市民逮捕する。めでたし、めでたし」
「うぐう……」
 バカは死んだような目でうなった。もう半分死んでいるのも同じことである。デッドマンウォーキングである。
 もし、ウンコキラーが現れなかったら、自分の手で殺してウンコキラーの犯行に見せかけるのもいいな、と珍保長太郎は思った。
「楽しみ楽しみ」
「むがあ」
 なぜかニヤニヤと笑いだした店長を見て、バカは機械的にうなった。心の中には何もない。

 近くの茂みに隠れて、珍保長太郎は半裸のバカの様子を見ていた。露出狂の女というよりは、やはり、ただの女装した変態にしか見えんな……。この作戦、ちょっとばかりアラがあったかもしれん。
 珍保長太郎は眉間にしわを寄せた。生きることのつらさを感じた。そのうえ、極度の便秘状態で、お腹がまた痛くなってきた。ふんだりけったりである。
 この調子だと、便秘で死ぬかもしれない……、などを考えていたら、茂みの後ろの方から悲鳴が聞こえた。

・アメリカン・クラッカー

「きゃあああああああああああああああああっ」
 見ると死にかけ老人こと大山田統一郎が、キャリーこと小杉浩子に襲いかかっていた。
「大山田さんッ! なにをするんですかッ! 警察を呼びますよッ!」
 キャリーが大声を上げる。
「うほほほーいッ!」
 年寄りのくせに身軽な死にかけ老人。猿のように左右に軽快にジャンプをしている。いつもの緩慢な動きからは、信じられない速さだ。

 珍保長太郎はウンコキラーが誰なのか、今わかった。こいつ、ボケ老人のふりをしていたのかッ!

「だめです。やめてください。暑くて眠れないから公園に連れて行け、というから来たのに」
「がうがうがう」
 死にかけ老人は、キャリーのまわりをぐるぐる回りながら、ときどき噛みついていた。発情して興奮しているらしい。
 最初はただのボケたお年寄りの変な行動と思っていたキャリーだが、その噛む力が、だんだんと情け容赦なくなり、飛びかかられるたびに小さな肉片を食いちぎられるようになると、恐ろしさが噴き出してきた。大山田は異常だった。
「キキーッ! キキーッ!」
 歓喜の声を上げながら、口元から血を滴らせている死にかけ老人。
「痛い痛いッ!」
 キャリーは絶叫する。老人の歯が骨まで達したのである。
「カプッカプッ! チューッチューッ!」
 なんと、死にかけ老人は、キャリーの身体中にできた細かい傷口に噛み付いては、血をすすっていた。吸血鬼というよりは吸血コウモリに近い。
 恍惚をした目つき。恍惚老人の恍惚とは違う、ギラギラした、いやらしい目の色をしていた。
 ドサッ!
 貧血と心労から気を失いかけて、キャリーは倒れた。その顔面にむけて小さなお尻を突き出す死にかけ老人。
 ペロンッ!
 パジャマのズボンを下げて不潔な臀部を出した。
「汚くて臭いケツ!」
 老人は自己申告した。まさにその通りで、トイレのあとで紙でちゃんと吹いていないらしく、肛門のまわりにウンコが付着していた。
「ウウ〜ンッ!」
 モリモリモリッ! とウンコを出し始める死にかけ老人。汚い。アナルをウンコが通る快感でイキそうな顔をしている。おそらく、高齢でチンポコが生殖器としての機能を果たさなくなった代わりに、肛門とウンコがその代用品となって、ゆがんだ変態的な発達をとげたのではないか?

「ヤリのようにまっすぐで硬いウンコが出てきた……。これか……これがウンコキラーの武器か」
 茂みの陰で珍保長太郎は驚いていた。

「硬くてカチンカチンッ! フル勃起ッ!」
 ウンコでできたヤリを振りかざして、自慢げに歓喜の雄叫びをあげる狂った老人。
「大山田さん……。それは勃起とは言いません。便秘のウンコです」
 こんな時だったが、気になったのでキャリーは相手の間違いを正した。もちろん、常軌を逸した老人の耳には届かなかった。
「これでセックスする……」
「ゲッ!」
 老人があまりにも最悪なことを言いだしたので、キャリーは思わず驚きの声を上げた。
「ウンコセックスッ!」
 ジャングルにいる野獣の咆哮を思わせるような老人の大声に、キャリーはびくっとした。この小柄な老人の身体のどこから、こんな大音量が出てくるのか……。不用品回収車のホーン型スピーカーのようだった。
 ブンッ!
 死にかけ老人は元気良くヤリのように尖ったウンコを、キャリーの股間めがけて突き出した。
「こりゃいかんッ!」
 珍保長太郎はいそいでスケスケ下着を身につけているバカを持ち上げて、死にかけ老人のウンコのヤリの前に放り投げた。
 グサリッ!
「ぐはああああああああああああッ!」
 あまりの痛さに冥府をさまよっていたバカの魂が地上に戻った。バカが目を開けると先の尖った鋭利なウンコが自分の腹に突き刺さっているのが見えた。
「なんじゃこりゃーッ! 硬くて臭いッ! 硬くて臭いッ!」
 バカが驚くのも無理はない話である。イエローストーン国立公園の間欠泉のように、腹から血が吹き出した。 
 ドバドバドバドバドバドバドバドバドバドバドバドバッ!
「ちいっ」
 死にかけ老人は悔しそうに舌打ちをすると、半裸の女装男を人間の盾として、放り投げてきた怪力男を見た。
「お前は確か、代田橋の不味いラーメン屋の……」
「どうやら、頭は少しもボケていないようだな」
 珍保長太郎は隠れていた茂みを出て、死にかけ老人の前に出た。
「グフフフフッ。無力なボケ老人を殺人鬼などと思う奴はいないからな。ちょうどよい隠れ蓑になったよ」
 死にかけ老人の小さな目が光った。しなびた猿の干物のような風体だが、目の光はその下にある高度で邪悪な知性の存在を示していた。
「犯行の現場に凶悪な介護士のリボンを置いてくるのは良い手だったな。あの女はいかにも変態性欲による連続殺人を起こしてもおかしくないタイプだ。あやうく、騙されてしまったよ」
「気がついてくれて、うれしいよ。あれはちょっとした冗談だったのだが……。何件も連続殺人を犯していると、遊びを入れたくなってくるのだ」
 ニヤリと笑う死にかけ老人。二人の殺人鬼の目が合った。同じ人殺しなので、珍保長太郎は死にかけ老人の心の中が手に取るようにわかった。
「だが、その殺人も今日が最後だ」
「な……なにッ!?」
「次はお前が被害者になる番だッ!」
 珍保長太郎はニヤニヤ笑いながら、かわいそうな老人に飛びかかった。相手はシリアルキラーとはいえ、80を越えた小柄なお年寄りである。一方、珍保長太郎は運動不足気味だが2mに近い怪力の持ち主。楽勝である。
 珍保長太郎は、せっかくだから時間をかけてゆっくりと殺してやろうと思った。あえて即死はさせず、生きたまま手足を一本ずつ抜いていくのはどうだろうか。ところが……。
「痛てててててッ!」
 悲鳴をあげたのは珍保長太郎の方だった。死にかけ老人はチンパンジーのようにジャンプすると一瞬で珍保長太郎の視界から消えた。オロオロしていると背後に現れて、珍保長太郎の腕を取ってひねり上げた。ねじる。
 カルシウム不足の珍保長太郎の腕の関節が、ミシミシと嫌な音を立てる。捕まえようとすると、またすばやく消えた。
 ヒュン!ヒュン!
「猿のようにすばやいッ! これではまったく捕まえられんッ! くそっ、捕まえることさえできたら、こっちのものなのだが……」
 珍保長太郎は怪力には自信があった。その油断が命取りになった。
 ガシッ!
「えッ?」
 逆に死にかけ老人の方から珍保長太郎に組み合ってきた。首相撲。レスリングでいうロックアップの体勢である。死にかけ老人の手が、珍保長太郎の腰を掴む。
「見た目と違ってものすごく力が強いッ?」
 ふんわりと死にかけ老人は珍保長太郎の巨体を持ち上げた。次の瞬間、いとも簡単に硬い地面に叩きつけた。
 ゴロンゴロンゴロンッ!
 2m近い大男が面白いように何度も投げられては転がっていく。
「グフフフッ。こう見えてもわしは若い頃はグレコローマンの国体選手だったのだ」
「くっ、くそっ!」
 ただの脳みそがない大男なだけの珍保長太郎は、プロの技術の前には手も足も出なかった。
 ゴロン! コロコロ!
 立っては投げられ、立って投げられ。しまいには立つのがいやになって座っていたら、その体勢のまま腰のベルトを掴まれてゴボウ抜きに投げられた。こんな投げ方ができる人間は、ロシアのカレリンくらいしかいない。
 ガッ! ドカッ! バキッ!
 珍保長太郎は何度も顔面や後頭部を硬い地面や樹木に打ち付けられた。そのうちに、どこかの変な神経が切れたようで、あまり目が見えなくなってきた。涙で見えなくなったのかもしれない……。
「痛い痛い……。悲しい悲しい……」
 うおおおおおおおおおおん。うおおおおおおおおおおおおん。
 死にかけた珍保長太郎は男泣きに泣いた。本当に痛かったのである。
「フィニッシュ!」
 まったく死にかけてない死にかけ老人は、今やあまり動かなくなった珍保長太郎を裏返して、犬のように屈辱的な四つん這いにさせた。それから、ズボンとブリーフを下げて肛門をむき出しにした。
 げげーッ! こいつ、ホモの気もあったのかーッ!
 珍保長太郎は絶望的な気分で考えたが、もはや、あらがう力は残っていなかった。あとはおとなしく肛門を犯されウンコを食わされて死ぬのみ……。
「ウンコセックス!」
 死にかけ老人は、そばで倒れていたバカの身体に突き刺さっていたヤリのような硬いウンコを引き抜いた。抜くときにバカが痙攣したので、まだ死んではいないようだ。
 硬いヤリのようなウンコを構える死にかけ老人。それから、一気に珍保長太郎の肛門にそれを突き立てた。
 ズブッ! ズブッ! ズブッ! ズブッ!
 いやな音を立てて、ウンコが肛門にめり込んでいく。裂けて血が出た。ちょうど良い潤滑液だ。
「ぎゃあああああああああああああああッ」
 とうぜんながら悲鳴をあげる珍保長太郎。初めてだから仕方がない。
「グフフフフッ」
「痛い痛いッ! お尻の穴が裂けちゃうッ! これ以上……もう、やめてください。お願いです」
 苦しみのあまり、人間の尊厳を捨てて、泣いて哀願する珍保長太郎。ここまでプライドを失ってしまったら、もう人間には戻れない。
「実のところ、もうすっかり肛門は裂けておるぞッ!」
 冷静に事実を告げる死にかけ老人。今までは肛門は後ろ側なので目に見えないことが幸いしていたが、老人に言われて、自分の肛門が裂けている姿が写真のようにクッキリと珍保長太郎の脳裏に浮かんでしまった。その瞬間、苦痛が100倍にも増したことは間違いない。
「あひ〜ん! あひ〜ん! 痛いですぅ痛いですぅ」
 珍保長太郎のような大男には、このように一方的にやられることは、人生においてかつてない体験だった。おかげであっさり心が折れてしまったらしい。人目をはばからず、しくしくと泣いている。

 一方、出血で気が遠くなっていたバカは、店長の泣き声で目を覚ましていた。バカが目にした光景は衝撃的なものだった。
「店長って本性はこんななさけない男だったのか……」
 犬のように犯されてる店長を見て、バカは心の底から軽蔑した。「ウジムシ。ウジムシ。女が腐ったようなウジムシめ……」

 グリグリッ! ギューッ!ギューッ!
「くそ。なかなか奥まで入らないわい。この男、便秘なのだろうか。」
 死にかけ老人は、情け容赦なく硬いウンコを肛門に押し込んだ。高齢とはいえ、国体レベルの鍛え抜かれたレスラーの怪力である。
 ムリムリムリムリッ!
 いやな音を立ててウンコが肛門に奥に入って行く。
「痛いッ! 痛いッ! グガボボボボボボッ!」
 もう声にならない声をあげるしかない珍保長太郎。
 今、どういう状況かというと、何週間もたまって岩のように硬くなっている珍保長太郎のウンコが、外から入ってくる死にかけ老人のウンコを阻止しているところである。だが、珍保長太郎のウンコのがんばりもかいなく、肛門から入って来た死にかけ老人のウンコは、どんどん先住のウンコを上の方に突き上げていた。腸から胃袋、食道のほうにまで、先住のウンコは押し出されていった。
 痛いどころではない。これには人類がかつて経験したことがないような苦痛と同時に不快感がともなっていた。
「ギャーッ! あたしのお腹の中をウンコがッ! ギャーッ! あたしのお腹の中をウンコがッ!」
 なんで急に女言葉になるのかがわからないが、珍保長太郎は悲鳴を上げ続けた。肛門を犯されているのだから、目覚めても仕方がないかもしれない。
「そうれッ! 1、2、ウンコッ! そうれッ! 1、2、ウンコッ!」
 掛け声をかけて元気にウンコを押し込む死にかけ老人。たいへんに張り切っている。この老人にとっては、これが人生の生きがいなのだろう。
「グボホコッ! グボホコッ!」
 とうとうウンコの先っぽが珍保長太郎の口から出てきた。
「自分のウンコが口から出てきたーッ! 自分のウンコが口から出てきたーッ!」
 珍保長太郎は、もうどうしたら良いかわからず、現状そのままのことを叫ぶしかなかった。
「そうれッ! ウンコで串刺しッ! そうれッ! ウンコで串刺しッ! あまり見たことがないウンコ焼き鳥じゃーっ!」
 死にかけ老人が叫ぶ。ウンコ焼き鳥という表現はいろいろ間違ってる気がするが、珍保長太郎はそれを気にする段階はとっくに過ぎていた。人間の限界を越えて数キロ先まで行ってしまった。こんな体験はけっしてしたくないものである。
 ゴポポポポポッ! ゴポポポポポッ! ゴポポポポポッ!
 ウンコと血とゲロが混ざったものが、とうとう口から出てきた。その衝撃と屈辱で、痙攣を繰り返す珍保長太郎。
 ピク……ピク……ピク……。
「こいつ……もうすぐ死ぬな」
 死にかけ老人は勝利を確信した。その時である。
「自分のウンコ引っこ抜きッ!」
 珍保長太郎は、いまだかつて人類が口にしたことはないであろう言葉を発した。その姿はまるで神のように神々しく光を放っているように見えた。おそらくそれは気分的にそんな風に見えた、というだけの幻想であろう。
 ネオンサインのようにビカビカと光を放ちながら、珍保長太郎は絶叫した。
「ウンコッコ!」
 それから、恐ろしいことが起きた。おお……、神よ。珍保長太郎は口から先が出ている自分をウンコを掴んで、一気に引き抜いたのであるッ!
 ズボボボボボボボッ!
 それがどんな音がしたかは、正確にはわからない。人類史上誰も聞いたことがない音だからである。
 ところで、お腹の中でぐねぐね曲がった状態で岩のように硬くなっているウンコを一気に引き抜くと、どうなるか。もちろん、内臓……大腸、小腸、盲腸、胃袋、さらには食道までもが、ずたずたに裂けるに違いない。
 珍保長太郎にはそれがわかっていた。だから、ゆっくりやると絶対に痛いと思ったので、光の速さで全力で引き抜いたのである。
「グコボコボコッ!」
 擬音ではない。珍保長太郎の叫びの声である。魂の声。もう人類の限界を越えて向こう側に行ってしまった……ということだ。今ではキリストが同僚だ、
 さすがの死にかけ老人も目を丸くして見つめるしかなかった。彼はミスを犯していた。珍保長太郎のウンコというフタがなくなって、死にかけ老人のウンコはぜんぶ珍保長太郎の体内に入ってしまったのである。
 死にかけ老人は武器を失った。
 ゆらりとカゲロウのように揺れる珍保長太郎。その手には血や胃の内容物にまみれた自分の腸の形をしたウンコが握られていたッ!
 それから、ゆっくりと、引っこ抜いた自分のウンコを頭上高くかまえた。
「目玉ウンコッ!」
 これまた、聞いたことも言葉を絶叫すると、珍保長太郎は自分のウンコの先を、死にかけ老人の目玉に突き刺した。
 ザクッ!
「ぎゃああああああああああああああああああッ!」
 死にかけ老人は火災報知器のような大音量で悲鳴をあげた。あだ名の通りに死にかけていたのである。目玉が飛び出てブランブランとアメリカン・クラッカーのように揺れていた。
 グイッ!
 ひねりを入れて、珍保長太郎はさらに眼孔の奥までウンコを押し込んだ。ウンコの先端は脳みその中に半分くらい入っていた。
 死にかけ老人はもう死にかけではなくなった。


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・地獄ラーメン

『ラーメン珍長』。
 ミザリーこと神保千穂は、いつも老人ホームから電話で出前を頼むだけだったので、店に来たのは、これが初めてだった。不潔で汚い。酸化した豚の脂の匂いがひどい。吐き気がしてきた。頭のおかしい異常者が住むにはちょうど良い場所だ。
 もし、一度でも店の中を覗いていたならば、けっしてこんな店などに出前を頼むことはなかったことだろう。店内の様子から店長の異常性に気がついて、近寄るのはやめていたかもしれない。
 ミザリーは、もし生きて帰れたならば、二度とこの店に出前を注文するのはやめよう、と心に誓った。もしも、生きて帰ることがあればだが……。
 ああ、私の命はここで終わってしまうのか……。ミザリーは悲しくなって考えた。気のふれたラーメン屋はさっきからなにやら鍋を煮立てていた。好奇心に駆られてミザリーが覗き込むと、ラーメンを作っていた。よく出前で取っていた、『ラーメン珍長』のまずいラーメンだった。今日は醤油味のようだ。
 珍保長太郎はできた熱々のラーメンをドンブリに入れた。
「熱すぎる地獄ラーメン!」
 男は煮立ったラーメンを、ミザリーの頭の上にとつぜんかけた。
「熱いッ! 熱いッ! ギャーーーーーーーーーッ! 熱いッ!」
 ミザリーは絶叫して暴れた。そのひょうしに猿轡がはずれた。顔面が大やけどして焼けただれた。やけどの単位でいうと『3度熱傷』というところである。
「さあ、自分がウンコキラーだと認めるんだッ! 血も涙もない気の狂った殺人鬼めッ! すべての罪を自白しろッ!」
 珍保長太郎はポケットからICレコーダーを出して、ミザリーに見せた。「おそらく、あなたは心の治療が必要な反社会的な人格障害者なんだろう……。俺は同情しているぞ。悪いのは病気……本人ではない」
 強面だが心は優しい良い人、と自分のことをイメージして、自己陶酔する珍保長太郎。うっとりとした顔をしている。口の端からは、よだれが垂れていた。
「キチガイッ! 完全なキチガイにキチガイ呼ばわりされるなんてッ! キチガイはお前の方だッ!」
「なにッ!?」
 本当のことを言われて、珍保長太郎の脳みそのリミッターが壊れた。このクソババアッ! 命だけは助けてやろうと思っていたが、これで決まった。完全に殺すッ! 100%殺すッ!「地獄ラーメンを食えっ! 食って地獄に行けッ!」
 珍保長太郎は中身が少し残っているラーメンドンブリを、ミザリーの顔面に叩きつけた。何度も……、何度も……。分厚くてじょうぶなドンブリなので、人の顔面くらいでは、なかなか割れなかった。
 ゴズッ! ゴズッ! ゴズッ! ゴズッ! ゴズッ! ゴズッ! ゴズッ! ゴズッ! ゴズッ! ゴズッ! ゴズッ! ゴズッ! ゴズッ!
 村の鍛冶屋のように叩きつけ続ける珍保長太郎。哀れなミザリーは折れた歯を口から吐き出したあとは、動かなくなった。もう悲鳴も出ない。ぴくぴくとイモムシのように痙攣している。
 バキッ!
 珍保長太郎が気合いのこもった一撃を入れると、ついにじょうぶなドンブリにヒビが入って割れた。やった! がんばったかいがあった。珍保長太郎は達成感を胸に、割れた破片を持って、その鋭角な角をミザリーの顔面を叩きつける作業を、もくもくと続けた。
 ドピューッ!
 珍保長太郎の白いスラックスの中で、勃起したチンポコの先から、中学生のような大量の精液が吹き出した。気がつくと、ミザリーはとっくに息をしていなかった。ミンチのようになった顔面を見下ろして、珍保長太郎は原始人のように雄叫びをあげた。
「正義は、なされたりッ!」
 あまりにも声が大きいので、店のドアのちゃちな作りのガラスが震えて割れた。

・玉川上水でお前も死ね

「店長、どうして店の床に歯がぽろぽろと落ちているんですか」
 翌朝、手下のバカこと新実大介が、店内の掃除中に余計なことを言い出した。
「うるせえ」
 すげない店長。
「さらに、床には、なにかの肉の断片が転がっており、血のしみをおおざっぱに拭いたあとが見られるんですが、これ、違法性はないですよね?」
 疑り深い目で店長を見るバカ。
「殺すぞ」
 目つきが厳しくなっていく珍保長太郎。だが、新見はバカと呼ばれるだけあって、店長の危険な様子には気づいてもいない。ちょっと考えたふりをしてから、店長に言った。
「店長、やっぱり通報していいですかね?」
 ガシッ!
 やにわに珍保長太郎はバカの長めの髪の毛をわしづかみにした。それから、一度、後ろに引いて反動といきおいをつけてから、全力で顔面をカウンターの角に叩きつけた。
 ガッ!
「ギャッ!」
 悲鳴をあげるバカ。まるで痛がっているように見える。それでも珍保長太郎は、バカの髪の毛をはなさず、何度も何度も根気よく、顔面をカウンターの角に叩きつけ続けた。人生、努力が肝心だ。今回は口のあたりを重点的に狙ってみた。
「ごふっ!」
 ボロボロボロッ!
 バカは口の中から血の塊と1ダースばかりの折れた歯を吐き出した。それから、砂場で砂浴びをする犬のように、酸化した脂でべたべたするラーメン屋の不潔な床の上を、楽しそうに転がり回った。
「これで少しは静かになるだろう……」
 珍保長太郎はまんぞくそうに呟いた。「それにしても……」

 昨夜『正義は、なされたりッ!』と絶叫したときは、これですべてが解決したように思えたものだ。ところが、しばらくたってから冷静になって考えてみると、なんということだろう……。あたりまえだが、なんの解決にもなっていないではないか。よくあることである。
 ICレコーダーに自分とミザリーの会話を録音はしていたが、これはむしろ、単に自分が気の狂った人殺しであることの証拠にしかなっていない。
 これはいかん。珍保長太郎は不満足さに歯ぎしりした。手にしたICレコーダーを見つめていると、すっかりゆううつな気分になってきた。もしかして、鬱病になったのかもしれない。
 もうひとつ重要なことだが、どうもウンコキラーの正体は、ミザリーではなかったような気がしてきた。ミザリーは言わば誤認逮捕というやつである。冤罪で死刑になる運の悪い人間はこの世には、ツグダニにして食えるほどいる。だから、間違って個人的に死刑執行をしたからといって、誰にも責めることはできないだろう。その点には自信がある。
 正義や倫理というものほど、ゆらぐものはない。時代の流れとともに、白が黒になったり、黒が白になったりする例はいくらでもある。そんなに意味はない。気にしなくて良い。
 それより、重要なのは真犯人をあげることだ。大切なのは真実、それのみだ。それができないならば、自分がこのままウンコキラーの犯人とされて、電気椅子で処刑されてしまうことだろう。おそらく、この調子では、その日はそう遠くはない……。
 とりあえず、ミザリーの死体は早朝のひとけのない時間帯を見計らって、京王線のホームの下を流れる玉川上水に捨てた。
 太宰治がより高度なアクメを得ようと、彼女にチンポコを入れたまま、お互いの身体を縛って身投げしたことで有名な玉川上水だが、この近辺では大部分が暗渠となって緑道の地面の下を流れている。ところが代田橋のここでは、どういうわけか、10mほどの区間が地上に出ていた。
 ここに死体を放り込むと、暗渠の中に流れて入って行き、見えなくなる。なかなか便利な場所じゃないか。血に飢えた亀や巨大化した鯉が、どういうわけか、うじゃうじゃいる。暗渠の中で、こいつらがすべてを食い尽くすことであろう。珍保長太郎は何度か死体の処理に、ここを利用していた。鯉の丸々とした太り具合を見ると、他にも利用しているものがいるのかもしれない。

「ポンポンが痛い」
 歯のなくなったバカを見ながら、珍保長太郎は陰気そうに呟いた。少しも幸せそうには見えない。珍保長太郎はこう見えても神経が細いのである。けっこうな長期間になってしまった逃亡生活。その緊張とストレスから珍保長太郎はまったくウンコが出なくなってしまった。たいへんな便秘である。
「ええい、腹が張る」
 トイレには何度も入るのだが、ウンコは出ない。出したくでも出てこない。おそらく事件が解決するまでは、出ないであろう。腹の中で数週間分のウンコががちがちに固まってコンクリートのようになっている。考えただけでも臭くて恐ろしい。身体も心も調子が悪い。これが逃亡者の苦しみというやつなのだろうか。
「どうにかしないと電気椅子以前に便秘で死ぬ……」
 珍保長太郎は虚空を見つめながら、追い詰められた獣のように呟いた。


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・地獄から出前に来ました

 夜の10時。老人ホーム『天国の門』。大阪の漫才師のような頭の下品な女、ミザリーこと神保千穂が出てくる。
「オホホホッ! 今日も臭くて汚い老人どもを、影でいびって楽しかったわッ!」
 勝ち誇ったように笑うミザリー。今日は残業で少し遅くなってしまった。もちろん、そのぶん老人たちをよけいに虐待した。当然である。プラスマイナスはゼロにしなくては。これは税金のようなものだ。あの世にはなにも持っていけないのだから、すべてを支払ってから死んでもらいたい。ここは老人ホームだからな。
 梅ヶ丘にあるマンションに向かってしばらく歩く。東松原の暗い夜道。このへんは住宅地なので街灯が少なくて暗い。昼間でもひとけの少ない場所だ。
 やがて、羽根木公園の横に出た。おぞましい悪魔的な公園である。世田谷区のこのへんでは一番大きい。昼間から夕方にかけては、犬の散歩やジョキングをする人々で賑わう。
 だが、夜中となると、中央にあるグラウンドのまわりなどは、まだひとけがあるが、無駄に広いので、外れの方にあるいくつかの広場などはまったくの無人の荒野となる。運の悪い通行人が気が狂った殺人鬼に襲われ、手足を一晩かけてゆっくり切断されても、誰も気がつかないに違いない。
 あきらかにあまり神経などというものが身体の中に走っていないミザリーではあるが、さすがの、この女傑でもちょっと不安を感じた。
 その嫌な予感は当たった。
「地獄ラーメンッ!」
 行く手をふさいで素っ頓狂なことを叫んでいる男がいる。2m近い大男。手にはラーメン屋の出前の岡持ちをを持っている。ミザリーは手の中のiPhoneを握りしめた。
「おや? 誰かと思ったら『ラーメン珍長』のオヤジじゃない。こんなとこでなにしてんの」
 相手の正体がわかったので少しは安心をしたが、ミザリーは警戒を緩めなかった。このおっさん、前から目つきが尋常じゃないと思っていた……。
「地獄からラーメンの出前に来ましたッ!」
 男は岡持ちの蓋を開けた。
「出前などは頼んでいませんッ!」
 ミザリーは嫌な気分になった。この男……、狂ってるわ!
 だが、男は岡持ちの中から意外なものを出した。
「リボン! 趣味の悪いムラサキ色の大きなリボンッ!」
 珍保長太郎はこれで一件落着と言わんばかりのどうどうとした態度で、リボンを振りかざした。「しかも、ウンコがちょっとついているッ! 臭いッ!」
 ハッとした顔をするミザリー。
「そ……それは、しばらく前に老人ホームでなくなった愛用のリボン……。ボケ老人の一人が盗んだと思っていたが、お前が持って行ったのか! あなたは気持ちの悪いフェティシュな人だったの?」
 すっとぼけるミザリーの顔面に、ぐりぐりとウンコのついたリボンを押し付ける珍保長太郎。確かに少しウンコ臭かった。リボンも珍保長太郎も。
「これがウンコキラーの殺人現場に落ちていたのだッ! さあ、いさぎよく自白して、肩の荷を下ろしたらどうだね、ミザリー?」
口から泡を吹いて絶叫する珍保長太郎。夜道で熊に出会ったようなものだ。
「な……なんの話? 」
 ミザリーはミザリーって誰だ、と思ったが、それどころではないので、あとに置いておくことにした。
「お前が犯人だッ! お前が犯人だッ!」
 珍保長太郎の緻密な計画では、犯行現場に落ちていたというリボンを見て、もはや、逃れられないと思ったミザリーは、すべてをあきらめて、とうとうと犯行を自供するはずだった。そのためにこっそりと胸ポケットにICレコーダーを入れて、話を録音していた。
 だが、どうもそのような都合の良い展開にはならないので、珍保長太郎はちょっと焦ってきた。激怒した珍保長太郎は、リボンの両端を手で持って、ミザリーの首を締めようとした。首を絞めてどうにかなるのか? という冷静な判断など、もはや、この男の頭には無理だった……。
「ひいいいいっ!キチガイッ!お巡りさん!お巡りさん!」
 タラバガニのように泡を吹き出したラーメン屋を見て、ミザリーは急いでiPhoneで110番に電話をしようとした。それとも黄色い救急車のほうがいいだろうか。
 ガスッ!
 なにかが宙を舞った。
 ボトッ! 
 ミザリーの右手がiPhoneごと、地面に落ちた。男を見ると、いつの間にか出していた、切れ味の良さそうなサバイバルナイフを手旗信号のように振り回していた。自分の切り株のようになった手首を見るミザリー。
「ぎゃああああああああああああああッ!」
 絶叫する。キチガイじみた男だとは思っていたが、そのままキチガイだったのである。意外でもなんでもない。
「チンポコが勃起してきたッ! やばいッ! このままでは射精してしまうッ!」
 珍保長太郎は変態のようなことを口走った。キチガイの上に変質者だったのである。ヘレン・ケラー並みだ。
 それから一応、確認のために股間のふくらみを指で指してミザリーに見せた。
 ミザリーはそれどころではなかったので、とくにコメントはなかった。ミザリーは道端のミミズのようにのたうちまわって苦しむのに忙しかった。
 珍保長太郎はミザリーの襟首をつかまえて、口におしっこ臭い手ぬぐいで猿轡をした。それから、茂みの中に隠れ、深夜になるのを待ってから、人目につかないように店までひきずって行った。


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・ネズミ捕り

 親愛なるイエス・キリストに生贄をささげた効果があった。その日のうちに老人ホーム『天国の門』で動きがあった。どうやら、神は実在するようだ。
 『天国の門』の裏庭。ここには庭掃除の道具などが入っている物置がある雑草のはえた狭い空き地である。薄暗い。夏の終わりころには蚊だらけになるだろう。金網の柵をへだてて、珍保長太郎の隠れている児童公園がある。木の上の珍保長太郎からは、老人ホームの裏庭がよく見えた。
「臭いッ!」
 おなじみのミザリーこと神保千穂のいらだった声が聞こえた。外見は大阪の女性コメディアンみたいだが、見ていても少しも愉快な気分にはならない。
「この数日間、ずっと臭いと思っていたら、ほらっ! ネズミ捕りにかかったネズミが死んでいたッ! 死んで腐っているッ! 死んで腐っているッ!」
 ミザリーはいつも虐待しているらしい『死にかけ老人』こと大山田統一郎を、なぜか裏庭に連れてきていた。マゾ奴隷を率いる女王様のようなものだろうか。
「見ろッ! この真夏の灼熱ですっかり腐って大量のウジ虫が湧いているッ! 手に持っているだけで、液体のようにポタポタとウジ虫が流れ落ちるほど、湧いているッ!」
 ミザリーはしっぽを持ってぶらさげたネズミを、死にかけ老人に突きつけた。さきゆきの短い老人にこんなものを突きつけてどうしようというのか。ご意見とご感想を聞きたい、とでもいうのか。
「ひひぃ〜、腐ってウジが湧いていますッ! これ以上どうしようもないくらい、全力で腐りきっておりますッ!」
 死にかけ老人はオウムのようにそのまま答えた。アルツハイマーで脳みその細胞のかなりの部分が壊れているのであろう。恍惚の人である。
「ほうらッ! 臭い臭いッ! 腐ってる腐ってるッ!」
 しっぽを持ったネズミをブランブランさせて、じりじりとせまってくるミザリー。
「はい、その通りでございますッ!考えうる限り、全身全霊で腐っておりますッ!」
 前線の日本兵のように直立不動で答える死にかけ老人。恐怖の匂いが老人臭にまじる。すっかりおびえて、おしっこを漏らしそうになっていた。紙おむつをしているので、漏らしても問題はないのだが。

「かわいそうな老人をまたいじめている……」
 珍保長太郎は木の上から彼らの動きを観察し、憤っていた。
「やはり、老人虐待をやめていたのは、一時的なものだったのだ。警察に目をつけられるのを警戒してひかえていたのだろう。痴漢や変質者と同じでやめることはできないのだ。けがらわしい。汚らしい。更生したように見えても、きゃつは必ずまた実行するのである……」
 ポケットの中のスマートホンで警察に通報しようかとも思ったが、逃亡者の身の上ではそれはできない。また、老人虐待くらいで通報しても、木で鼻をくくったような、けんもほろろの反応しか返ってこないのは目に見えている。こういう時の警察の対応はわかっている。電話でいじめている本人に連絡をして、いじめているのか、と聞く。もちろん、本人は認めるわけがないので、していませんと答える。すると、そうでしたか、と納得して引き下がってそれ以上何もしないのである。珍保長太郎は警察組織の腐敗ぶりに怒りで目がくらみそうになった。

「見てッ! この腐りきって二倍くらいに膨らんでいるネズミのお腹を押すと、ケツの穴から、どろどろに溶けたハラワタとウジ虫がまざった液体が出てくるわッ!」
 その通りのことをするミザリー。
「ひいっッ!」
 悲鳴をあげた死にかけ老人。大きく口を開けて凍りついている。その口の中に、こともあろうか、ミザリーは腐った内臓をそそぎこんだ。
 ブュチューッ! ドロドロ!
 ゴクンッ! ゴクンッ! おぞましいことに死にかけ老人はすでに喉の筋肉が弱って緩んでいた。注ぎ込まれたネズミの内臓物は、なんら拒まれることもなく、勝手に喉を経過して胃の中に収まってしまった。
「うげえッ! 臭い臭いッ! 腐ってて臭いッ! 腐ってて臭いッ!」
 もだえ苦しむ死にかけてる老人。両足の先くらいはもう棺桶の中に入っている。
「あらっ、ごめんなさい。ネズミを捨てようと思って持ち上げたら、中から思わぬ液体が出てきて、ぐうぜんに大山田さんの口の中に入ってしまったわ。オッホホホッ!」
 悪魔のようなミザリーが笑う。
「うげえうげえ」
 吐きそうになる死にかけ老人。吐こうにも喉の筋肉が弱いので、なかなか出ないのである。正月に餅が喉に詰まって死ぬ老人とおなじ原理である。それを木の上から双眼鏡で覗いている珍保長太郎も吐きそうになった。
 ゲボゲボゲボッ!ゴボッボッボッボッ!
 念願がかなって、とうとう大量のゲロを吐く死にかけ老人。朝食は塩鮭だったようだ。なかば消化された朝食とウジムシとネズミの内臓が溶けたものの混合物が、死にかけ老人の足元に水たまりを作った。ゲロを吐くことは人間の生理に反した苦しい作業である。死にかけ老人は白眼をひんむいて涙を流した。悲しくてたまらない。それにしても、末期癌のくせになかなか死なないものだ。
「食べ物を粗末にするなーッ!」
 思わぬことを言い出すミザリー。しかし、その目つきは本気。虐待にために芝居をしているのではなく、本心から怒っているようだ。
「日ごろから食育をしているのを忘れたかッ! 日本の大企業に搾取されているかわいそうなお百姓さんたちが、たんせいをこめて作った食べ物を粗末にすなッ! ぜんぶ戻しやがってッ! ブッ殺すぞッ、じじい!」
 思わぬ方面から来たミザリーの激怒に、びっくりする死にかけ老人。もともと、ぼけているのだから話の展開にまったくついていけない。
「でも、その半分はウジとネズミの内臓ですぅ」
 弱々しく反撃を試みる死にかけ老人。その反撃がミザリーの怒りの限界点を越えさせた。なにかのスイッチを押してしまったのだろう。
 ミザリーは介護士という自分の職業を、道徳を学ばせる教育者のようなものと捉えているようだ。
「素直にあやまれば許してやるつもりでしたが、このような厚顔無恥な言い訳を並べられては、処罰を与えないわけにはいけませんねッ! 暴力は大嫌いですが、教育のためには、こらえるしかありませんねッ! 神は断じて嘘つきは許しませんッ!」
 ここはキリスト教関係の老人ホームだった。ミザリーの血も涙もない目が光る。かんぜんに青ざめる死にかけ老人。
「出したゲロを飲めッ!」
 教育者としての厳命をくだすミザリー。襟を正している。死にかけ老人の足元にたまっていたゲロを、庭掃除のチリトリとホウキでかきあつめる。続いて、チリトリの中に入ったそれを、死にかけ老人の口に押し付けた。
「ゲロを出したことは、とうぜんながら神様にとっては確実に地獄行きを判断させる材料ですが、それを後悔し反省するならば事情は変わります。神はゆるしたもうッ! 神はゆるしたもうッ!」
 絶望のどん底に叩き落とされた死にかけ老人に助けの船を出すミザリー。死にかけ老人はかすかな期待に胸をときめかした。
「ですから、反省の証として、出したゲロを一度口に戻して飲み込んでから、それをちゃんと食物として立派に消化して肛門から排泄したならば、やり直したということで、プラスマイナスゼロになる可能性がありますッ! 神様は慈悲深いのでありますッ!」 
 恍惚とした目で天上を見上げて硬直するミザリー。エクスタシーをむかえているようだ。イッたら筋肉が柔らかくなったのか、突如、ゲロを一気に死にかけ老人の口に流し込む。
「うげんッ! うげんッ!」
 流れ込んでくるゲロに苦しむ老人。
「これは親切ですよッ! 愛ですよッ! 愛ッ! いつくしむ無限の愛ッ! これが神の愛なんですわッ!」
 ゴックンゴックン!
 とうとう血走った目で、ゲロをぜんぶ飲み込んでしまった死にかけ老人。神の愛の検査には合格したはずだが、神の愛が原液で強すぎたのか、無表情になり動かなくなった。発狂したのだ。まるで路傍の水子地蔵のようだ。路傍の石とはこのことだ。彼はどこかに逃避しているのだろう。心の中では誰でも天国だ。
 ポン。
 よくやったとばかりに、ミザリーは死にかけ老人の肩をたたく。天使のように微笑む。心は純粋でやさしいのである。原理主義者で人質の生首を切断して歩くような人間は、気の狂った犯罪者ではない。みんな極端にまじめなやさしい人たちばかりである。彼らは善をなしている。二人は親友同士のように肩に手をかけ、裏口のドアを開けて、老人ホームに戻っていった。

「この気の狂ったキチガイめッ!キチガイッ!キチガイッ!」覗いていた珍保長太郎は木の上で激怒をしていた。「俺は犯人を確信したッ! 間違いない、ウンコキラーはミザリー!」


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・昆虫採集家

 老人ホーム『天国の門』。東松原の住宅地の中にある。死に行く人々がつかの間の時間つぶしをしている待合室のような場所だ。その裏は緑豊かな児童公園になっていた。公衆トイレと鉄棒、それとベンチと大きな木々の茂みがある。
 珍保長太郎は毎日、その公園から老人ホームのミザリーの動向を見張っていたが、夕方になると近所の保育園から保母に連れられた子供らが遊びに来るのがわかった。薄汚い身なりのおっさんが双眼鏡を手に立っていたら、いかにも怪しい。怪しい前に本人が恥ずかしい。
 どうしたものかと思ったが、木の上に登って見張ることにした。これが案外、都合がいい。この季節、木々は豊かに葉っぱが生い茂り、下からは樹上の珍保長太郎の姿は覆い隠されてしまう。
 木の上からは天国の門のいくつかの部屋の中が見えた。暇そうに子供のやるようなお遊戯をやらされている老人たち、大画面テレビでDVDを見ている老人たち。それと世話をするキャリーやミザリーなど介護士たちの姿。
「おそらくミザリーがウンコキラーに違いない……。あの女はあきらかに反社会的な気質の異常性格者だ。同じく異常性格者である俺が言うんだから間違いはない。この手の異常者は犯行で気を使う。おそらく、男の犯行であるように見せかけて、捜査をかく乱するつもりなのだろう。または、ミザリーがほんとうは男である可能性もある。歪んだ性欲が異常な発散を求めることはよくある話だ」珍保長太郎はザルのような推理を展開した。暇だったからである。「連続殺人鬼は性欲をがまんできない。見張っていれば、いずれまた行動を起こす時が来るだろう……そこを捕まえてやる」
 だが、ミザリーは意外と問題行動を起こさなかった。大原稲荷神社の殺人現場に趣味の悪いリボンを落としたことに気がついて、行動を控えているのかもしれない。そうなると長期戦になる。場合によっては何年も……。ほとぼりが冷めるまでは何年でも待ち、自分の身が安全とわかってから犯行を再開する連続殺人鬼も多い。
 また、思ったよりミザリーが老人を虐待していないのがわかった。ラーメンを配達するたびに虐待を見かけていたものだが、もしかして、たまたま気が立っている時に出くわしたのかもしれない。腹が空いてイライラしていただけなのだろうか? こちらも警察に目をつけられないように行動を控えただけかもしれないが……。
 一日のスケジュールはこうだ。朝早く出かけて行って木の上に登る。珍保長太郎は日がな一日、セミの声に囲まれて木の上で見張っていると、だんだん自分がセミになった気分がしてきた。夜の10時くらいになると、宿直の当番を残して、ミザリーら介護士たちが老人ホームを出てくる。珍保長太郎は近所のマンションに帰るミザリーの後をつけて部屋に入るのを見届けてから自分もラーメン屋の屋根裏に帰った。
 「うひょうひょ」
 ある日のこと、木の上で珍保長太郎が変質者のような声を出した。変質者が変質者のような声を出してるのだから、そのままである。キャリーこと小杉浩子が着替えをしている姿を目撃してしまったのである。見事な貧乳だった。
「おっぱい、ボインボイン」
気持ち悪いことを、つぶやく珍保長太郎。ほとんどボインとは言い難いサイズなので、同時にウソツキでもある。必死に双眼鏡をワニのような目つきでのぞいているうちに、陰茎が勃起してきた。葉っぱのよく茂った木の枝の上なので、周りからはほとんど見えない。珍保長太郎は安心してチンポコを出して、こすりはじめた。
「ワンツーオナニー!ワンツーオナニー!」
 珍保長太郎は、掛け声を出しながらではないとイケないたちだった。人それぞれ、意外な性癖をもっているものである。家の中でマスターベーションをしてるような気持ちで、安心して登りつめる珍保長太郎。いきおいよく射精した。ドピューッ!ドロドロッ! 汚くて臭い。汚くて臭い。
「この季節、上から水分が落ちてきたら、それはセミのおしっこだと思うことだろう。だが、それは俺の精液だ」珍保長太郎はどうでも良いことをつぶやいて、満足感を味わった。ところが、意外なことに足元のすぐ下のあたりで悲鳴があがった。
「ぎゃっ」
 嫌な予感がして下を見ると、顔面に精液をかけられた若者が、こっちを見上げていた。ベストを着て捕虫網やら虫かごやらを持っているから昆虫採集家だろう。彼は目を丸くして珍保長太郎を見上げている。こっちだって目を丸くしている。驚いてるのはお互い様だ。
「驚いたな、昆虫採集家とは……。この世にこんな人種がまだ存在していたとは。しかも、それがたまたまマスターベーションをしている俺がいる木を登ってくるとは。しかも、射精する瞬間を狙って」
「あうあううう」情けない声を出す昆虫採集家。なにか説明する必要性を感じたのだろう。「お楽しみをじゃまするつもりはなかったのですが、この木はクヌギかコナラです。良い樹液がたくさん出るので美しい甲虫が集まってくるのです」
「しかし、出たのは樹液ではなく精液だったということだな」意味のない発言をする珍保長太郎。逃亡生活で風呂に入らず臭い上に、追い詰められて目が血走っている。そんな不審な人物に、木を登ったら、たまたま出くわしてしまったのである。昆虫採集家は心の底から恐怖を覚えた。
「おしっこが漏れそうです……」彼は蚊の鳴くような声で言った。その気の弱そうな学生時代は確実にイジメられていただろうという顔を見ていたら、珍保長太郎はやみくもな怒りを感じてきた。
「よし、殺そうッ!」
「ひっ!」
 頭上の臭い大男が、ぶっそうなことを言い始めたので、昆虫採集家は絶望のあまり悲鳴をあげた。驚いて息を吸ったので、顔射されていた精液が口の中に入り、飲み込んでしまった。地獄に違いない。ニヤニヤ笑う顔色の悪いキリストが待っているぞ。液体はセロリのような味がした。
「汚くて臭いッ!汚くて臭いッ!」昆虫採集家は泣いてわめき出した。これはいかん。近所の人が駆けつけてくる。珍保長太郎はいっさいの憐れみも覚えずに、懐からサバイバルナイフを出して、全力で下にいる昆虫採集家の顔面に突き立てた。
 ブスリ!
 小気味の良い音がした。ナイフは鼻の穴あたりから突き刺さり、後頭部から刃先が少し飛び出した。いい気持ちである。快感が背筋を通って、天の神の足元まで届いた。おそらく、ミザリーも同じような快楽を求めて連続殺人をやめられないのだろう。同じ仲間である。
 ガサッ!ガサガサガサッ!ボキッ!ボキッ!
 葉っぱを撒き散らし、木の枝を折りながら、墜落していく昆虫採集家。
 ドサッ!
 死体が地面に落ちるような音がした。珍保長太郎は木を降りて死に様を見物に行った。瀕死だが、まだ息がある。
「チッ!」本当に悔しそうに珍保長太郎は舌打ちをした。「まだ生きてけつかる……」
 公園に人が来ると困るので、珍保長太郎はちょっと苦労して、半死の昆虫採集家の身体を樹上に引きずり上げた。抵抗はしないが、だらんとしてるので重い。それから、先が折れている木の枝があったので、その鋭く尖った先端に身体を突き刺した。
 プルプルプル。
 昆虫採集家は、少しの間、ゼリーが揺れるように身体を震わせた。それから、かろうじて残っていた魂が、身体に見切りをつけて、天国に旅立っていた。
「さようなら。来世では虫に生まれ変わって幸せになれるといいな」珍保長太郎は昆虫採集家の魂に祝福を送った。「はやにえだ。秋になり葉っぱが落ちると、木の上の高いこづえに突き刺さってミイラになった彼が見つかる。さぞや、驚かれることだろう。楽しみだな」珍保長太郎は自分の仕事を満足して見つめた。反省は少しもない。
「自分は連続殺人事件の犯人を探しているのである。犯人が捕まれば、今後殺されるはずだった人々の尊い命がいくつも助かるだろう……。その目的のためにならば、関係のない人間を数人殺すくらいは、誤差と言ってもいいくらいである。むしろ、コスパが良い、と褒められて頭をなでられてもおかしくはないくらいだ」珍保長太郎の中に矛盾は存在しなかった。まっすぐな魂の人間だったからである。
 珍保長太郎は、それからようやく、先の濡れたチンポコをハンカチで拭いてズボンにしまった。いままで、ずっと出ていたのである。


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・逃亡者

「……ですから、私は一週間も店長の顔を見ていませんし、給料が払われる予定もないし、ほんとうに困っているのです。あのひと、ちょっとほら……。頭おかしいですよね? やっぱりやったなあ、という感じですよ。まったく、ひとかけらの同情もわきません。ウジ虫のようなものですよね。ここだけの話ですが、あの人……チンチンが長いのだけが自慢なんですよ!うへぇ!最低の人間ですよね?」と、愚痴をこぼしているのがわれらが珍保長太郎の手下のバカこと新実大介。ラーメン珍長に北沢署から刑事青赤がまた来ているのである。ウンコキラーの新たなる犠牲者が見つかったとかなんとか。
「はあ、そうですかね? 私の見たところでは、あなたは店長をグルのように崇拝しているように見えましたけどね? 尊師みたいだな……とあなた方の関係を見て思いましたよ。尊師ってわかりますか? あれですよ、麻原彰晃。私は地下鉄サリン事件の時は、捜査本部にかり出されていましたからね。あれ以来、弟子みたい人が言うことは一切、信用しないようにしているんです。あんた、ほんとはウソをついて、かばっているんじゃないか?」刑事青が不審な目でバカを見つめる。バカは不快な気分になり、真正面から警察官の目を見て言った。
「いいえ、神に誓ってウソは申しておりません。クズはクズ。犯罪は犯罪です。必要とあれば、いくらでも店長の顔写真を足で踏みつけて見せましょう。ニヤニヤ笑いながら、上で踊って見せますよ」と断言するバカ。
「では、また確認しますが、店長からはまったく連絡は来ないし、顔も見ていないと断言するのですね? 犯人をかばうと偽証罪で刑務所に入れられますが、それでも構わないと、おたくは言うのですか」
「もちろんですとも」キッパリと言い切るバカ。「ところでお二方、ラーメンを食べて行きませんか。店長がいない間、給料が出るあてがないので、自分で勝手に作って出してるんですが、店長が作るよりはるかにうまいと好評ですよ。店長をバカにするわけではないですが、あの人、料理下手ですからね」
 刑事青赤はどうしたものかと顔を見合わせたが、ちょうど腹が減っていたのでここで食っていくことにした。
「では、いただこうか」
「へーい」

 意外とふつうにうまいラーメンだったので、満足して出ていく刑事青赤。にこやかに店の前に出て見送るバカ。刑事青赤が代田橋商店街を進み、角を曲がって見えなくなると急に厳しい顔に変わる。彼らが自分を騙しこっそりと戻ってこないか、しばらく待つ。珍保長太郎のザルのようなおおざっぱな性格と違い、バカは用心深い。
 これなら大丈夫と判断してから店内に戻り、戸に鍵をかけて『休憩中』のふだをぶらさげる。バカはカーテンを閉めて二階に上がった。ラーメン珍長の二階は物置に使うような場所だったが、珍保長太郎は金がないので賃貸規則をやぶって、ここに寝泊まりしていた。ろくな家具もない部屋に、不潔な布団と収納家具代わりのダンボール箱が置いてある。だが、今日は二階には珍保長太郎の姿は見えない。
 バカはさらに踏み台を出して天井裏に入る戸を開けた。電気工事の人などが、配線工事をするための入り口である。中からホコリと蜘蛛の巣にまみれた珍保長太郎が出てきた。
「きさま、俺をそんな風に思っていたのか。いかにも人を殺してもおかしくない狂人と言ったな……」機嫌が悪い珍保長太郎を見て、バカはギョッとした。
「えっ……、店長。どうしてそんなことまで聞こえるんで?」
「いいか、ここに配管があるだろう。電話線やらLANケーブルなどを通すための管だ。これが一階の厨房の脇まで伸びている。この管に耳を当てていると、お前が俺の悪口を言ってるのがぜんぶ聞こえるという寸法だ……」
「げげげげげッ!」うろたえるバカ。安心しきって、日常の不満をぜんぶ言ってしまったらしい。
「しかし、店長。そんなスパイのようなまねをしている時ではないですよ。本当に危険がせまっています。やばいですよ。刑事たちが言っていたことを聞いたでしょう。かんぜんに犯人扱いですよ。いちおう『犯人扱い』と言っておきますが、ほんとうにやってないんでしょうね?」たくみに話題をそらすバカ。卑怯な人間なので、頭がこずるいのである。もちろん、珍保長太郎はかんたんに策略に引っかかり、別なことを考え始めた。
「もちろん、やっていないとも! 俺がじつは夢遊病で知らん間に女の口にウンコをつめて回ってるのではない限り!」自信をもって断言する珍保長太郎。
「まあ、ほんとうはやっていても私はかまわないんですけどね。いかにも、やりそうな感じですからね。それはともかく、店長、臭いですよ! 糞尿垂れ流しでしょう。とうぜん、一週間も風呂に入っていないでしょう。これじゃあ姿は隠れていても、匂いで見つかってしまいますよ」
「とはいえ、銭湯に行くわけにはいかない。ウンコはバケツに出して、たまったら人がいない時を見計らって、下の便所に捨てているが、それでも生のウンコがそばにあるんだから、臭いことはこのうえもないな」
「ああ、臭い臭い……」鼻をつまんで店長の周りを回るバカ。バカのくせに神経質なので、悪臭にはがまんができないのである。さいわいに、ここはラーメン屋なので巨大な鍋があった。それでお湯を沸かして、珍保長太郎は入ることにした。
「50男のスープだな」食欲をなくすようなことを言う珍保長太郎。とくにコメントは浮かばなかったので、バカは聞こえないふりをした。
「一週間隠れていたが、このまま天井裏で10年間、隠れ住んだのちに病死してホコリと一体化してしまうのも酔狂でいいかもしれないが、そうも言っていられないので、どうにかしなくてはならない」頭の中で考えていることがそのまま口に出てしまう珍保長太郎。近代化以前の日本人と同じく、頭の中だけで思考することができないのである。
「でも、どうするんです。店長」
「犯人を見つける」
 または、別な誰かを犯人に仕立て上げるという手もあるな……、と珍保長太郎は思いついて、さりげなくバカの横顔を見た。こいつは、いつ死刑になって死んでもまったくおしくない人間だ。だが、あまりヒントをあたえて警戒されては困るので、珍保長太郎は目をそらして、なにも考えていないふりをした。
 動物のように神経の鋭いところがあるバカは、にわかに背筋に冷たいものが走るのを感じて、店長の顔を見た。注視していると、わざとらしく視線をそらした。バカは不安になったので、夜道と背後には気をつけようと、心の片隅にメモをした。

 夜になった。出歩いても大丈夫だろうと判断して、珍保長太郎は業務用自転車『チンポ号』に乗って走り出した。刑事青赤が心配だが、やみくもにばったりと犯人にでくわすことを期待して、24時間、代田橋をうろついているわけではあるまい。交番の前を通る時は気をつけたほうがいいかもしれないが、道端で職務質問されない限り大丈夫だろうとふんだ。
 お巡りに見つかって職務質問された時の用心に、珍保長太郎は懐にナイフをしのばせていた。相手が一人なら殺してしまえばなにも問題はない。暗闇の中で珍保長太郎は悪魔のように笑った。黒い猫が道路を横切る。
「とりあえず老人ホーム『天国の門』に行くか。ミザリーのものらしいリボンが現場に落ちていたからな。だがしかし、リボンを突きつけても自供をしたりはしないだろうな。どうしたものか……」旧式の重たい自転車に乗って、ブツブツ言いながら走っている大柄な中年男。いかにも怪しい。しかも、ふところにはナイフ。いつでも警察官を殺す覚悟はできている。その目が狂気で光った。


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・自由に向かって走れ

 深夜の代田橋である。キーコ、キーコと珍保長太郎は愛用の業務用自転車、チンポ号を走らせていた。運動である。中年になってから珍保長太郎は急に太り出してきた。もともと、大飯食らいの上に毎日、大量に売れ残っている背脂がコテコテしたラーメンを食っている。デブになって当然である。
 これが20代ならば、背脂が筋肉に変わることもあろうが、中年になったならば背脂はそのまま腹脂に変わってしまう。たんに移動するだけである。これではいけない、と珍保長太郎は深夜に仕事が終わってから、二時間、業務用自転車で走ることにしていた。もともと、重い上に整備が悪いのでチンポ号を走らせるのは、かなりの重労働だった。運動という意味ではちょうど良い。
「オマンコしてえな」無意識に思ってることが口に出てしまう珍保長太郎。
「肛門がかゆいな」異常人格者とはいえ、ろくなことを言わない。
「いかん、ウンコがしたい」珍保長太郎はちょっと深刻な顔になった。このへんは荒れ果てた貧民街である。だから、珍保長太郎のようないいかげんなラーメン屋でも、家賃が安いからやっていけるのであるが、そのかわりトイレがない。これは貧乏人しか住んでいないので、税金があまり取れないせいである。そのために区の方で公共施設にかけるお金がないので、公衆トイレがどこにもない、という事態になっているのだ。
「ウンコががまんできない……」珍保長太郎は小学生の時に二回ウンコを漏らした体験がある。今でもたいへんなトラウマになっている。カッとなってすぐに人を殺したりするのも、教室でウンコを漏らした悲しみが原因ではないだろうか。
「怖い……。ウンコを漏らすのが怖い」小学生ならまだしも、中年のおっさんが道端でウンコを漏らしたら、あまりにも救いがなさすぎる。まさに地獄のようだ。地獄がお前を待っているぞ。ニョキ。肛門の穴からサツマイモの先のようなものがすこし顔を出す。
「いかん、しゃれにならない。絶体絶命だ」大原稲荷神社にさしかかった。陰気で暗い。神社なのにすこしも聖なる感じはしなくて低俗で下品。悪霊のすみかのような不吉で不潔な場所なのであるが、珍保長太郎にとっては幸いなことに、そのおかげで深夜はあまりひとけがない。
 キキッ。業務用自転車を止めて真っ暗な境内に入っていく。神経がないので、とくに霊などを怖がることはない。
「どこかにウンコをしても怒られないような場所はないか?」珍保長太郎は広い敷地を見渡す。でも、暗いのでなにも見えない。
「よくわからないが、とりあえず、一番奥まで行って出せばいいのではないか?」ということで、どんどん奥に進む。奥の方は墓場になっていた。悪霊神社のどんづまり。いかにも、行き場を失った怨霊や水子の霊が、吹き溜まっていそうなところである。湿っぽくてじめじめと臭い。腐った沼のような臭いがする。通常の神経の人間ならば、ためらうところであろうが、珍保長太郎はとくに感銘をうけたようすはなく、茂みの陰でしゃがんで尻を出した。
 むりむりむりむり。
「ふーっ。ごくらくごくらく」困難を乗り越えてすっきりした顔をする珍保長太郎。機嫌がいいようだ。だが、その直後に地獄が待ち構えていた。
「いや待て。紙がない」みるみるうちに青くなる珍保長太郎。「こまった。これではパンツがウンコだらけになる。こういう時に限って、ねばりっこい切れの悪いウンコだ。あきらかに直腸の中にまだ切れ端が残っている。このまま自転車に乗ったら、圧力で腸内のウンコが押し出されてしまい、パンツがさらにウンコだらけになってしまうであろう……。なんと恐ろしいことか……」絶望する珍保長太郎。なんとか被害を最小限に止めようと、そこらの葉っぱで拭こうと考えた。
 暗闇の中に手を伸ばすが、あたりにはあまり大きな葉っぱが見つからない。さらにゴソゴソと地面を引っ掻き回していたら……

 髪の毛の塊のようなものに手が当たった……

「ぎゃっ」思わず小さな悲鳴をあげる珍保長太郎。肛門の先から数センチのウンコを突き出したまま、さらにおしっこを漏らしてしまった。これ以上の地獄は世界ではあまり例を見ない。ちょっと硬直した。
 それにしても髪の毛である。やばい。なんだろうか。だが、こういう時、人間の心は勝手に恐怖と幻想を作り出すものだ。正体がわかれば、な〜んだ、という笑い話になるのでなかろうか?
 そこで珍保長太郎は恐怖をこらえて髪の毛の塊のようなものにふたたび手を伸ばした。その時、月の光が運命のように差し込んで茂みの中を照らした。顔中ウンコにまみれた女の死体だった。
「ウンコキラーの犠牲者……」直球すぎる。死体のようなものかと思ったら、そのまま死体だった。ふいに枯葉を踏む足音が聞こえた。
「わん!わん!わん!わん!わん!わん!」
 見ると犬を連れた近所のおっさんが入ってきた。懐中電灯で珍保長太郎を照らす……。その明かりが照らし出したものとは、ウンコを口に詰められて死んでいる髪の長い女の死体と、ケツからすこしウンコを出してしゃがんでいる目つきの悪い中年男である。いかん、ぜったいぜつめいに俺、怪しすぎる!
「人殺し〜ッ!」絶叫する近所のおっさん。もっともな反応である。いっそ、このおっさんと愛犬を殺してしまえば、窮地から逃れられると短絡的なことが頭に浮かんだ珍保長太郎だが、それでは余計に窮地に追い込まれると寸前で思いつき却下。代わりに全力でおっさんを突き飛ばした。
「死ねッ!」つい習慣で余計なことを口走ってしまう珍保長太郎。これでは『私が犯人です』と念押ししてるようなものではないか。ゴロンゴロンとボーリングの玉のように転がっていく近所のおっさん。手から落ちた懐中電灯が何かを照らす。
「こ…これは」趣味の悪い大きなリボンが落ちていた。ムラサキ色。こんなリボンをつけるような人間は一人しか思いつかない。しかも、その人物は最近、このリボンをなくしたようだ……。
 ガブッ!犯人の推理をしていた珍保長太郎に、おっさんの愛犬が噛み付く。飼い主に忠実な犬のようである。だが、今の珍保長太郎には、愛犬の献身的な愛情に感動してる余裕はなかった。なさけようしゃなく、ぜんりょくで犬の腹をけとばす。
「キャイーーーーーーーーンッ!」
小型犬だったので20mくらい宙を飛んで行った。落ちてからは鳴き声がしなくなったので、天国に行ったのかもしれない。これでは、殺人罪で告訴されなくても、動物愛護法で有罪になるかもしれない。
「いかん、どんどんドツボにはまっていくぞ。おもしろいくらいに」
 ウンコのちょっとついたリボンを持って、大原稲荷神社の境内を走る珍保長太郎。入り口に止めていた業務用自転車にまたがって、サドルにウンコをこすりつけながら、全力で走り出した。自由に向かって。


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・塩だッ塩をまけッ!鬼は外ッ!

 今年は猛暑なので小便は蒸れてすぐに発酵した。柔らかい白色の調理師用スラックスが、乾いた尿でごわごわになる。自分が臭い。珍保長太郎はズボンを着替えるためにラーメン珍長に戻った。バカがかいがいしく迎える。
「お帰りなさいませ、店長」
 まるで嫁のようである。実に不愉快で腹立たしい。少しでも「臭い」などと言おうものなら、即座に喉をかき切ってやろうと、身構えていたが、バカは少し鼻をクンクンさせただけで余計なことは言わなかった。その代わり、バカは別な爆弾を投下した。
「店長、留守のあいだに警察が来ましたよ。店長が出前でいないとわかると、後でまた来ると言ってました」
 ぎょっ! 不必要なまでに驚く珍保長太郎。ポーカーフェイスとは、ほど遠い性格のようだ。
「お、おれはやっていない……」誰も聞いていないのに、血相を変えて弁明をはじめる珍保長太郎。見ての通り、頭と行動はあまり、まともとは言い難い人物である。おそらく、警察が怪しいと睨んでくわしく調査したら、いくつもの過去の隠された犯罪が浮かび上がってくるのではないか。珍保長太郎は警察ほど苦手なものはこの世になかった。前からパトカーがやってきたら、意味なく横道に曲がって避けるくらい嫌いだった。
「な、なにかやったんですか?」きょとんとしたハゼのような顔でバカがたずねる。
「いや、なんでもない」見るからにうろたえる珍保長太郎。挙動不審である。どう見ても犯人にしか見えない。ハアハアと息を荒くついて、脂汗をだらだら流す。冷静を装っているが、目玉が落ち着きなくメリーゴーランドのようにクルクルと回っている。「なにもやってないと言ってるだろうッ!」だしぬけに怒鳴り出す珍保長太郎。
 バカがびっくりして店長を疑惑の目で見つめている。目の前に警察がいるわけでもないのに、この調子である。もし、警察署に連れて行かれ、本格的に尋問されたらどうなることやら。あることないこと自白して、最近の10年間の東京の未解決事件のぜんぶの犯人にされてしまって、10回くらい死刑判決を受けかねない。しかも、その半分はほんとにやっていそうだ。
「犬め……。いまわしい国家の犬どもめ……」けんのんな形相でブツブツ独り言を言いはじめる珍保長太郎。店長が気持ち悪いことを言い出したので、バカは働いてるふりをしながら、店長から遠いところに少しづつ移動した。
 がらがらがら。店のドアが開いた。入って来たのは目つきの悪い身体のがっしりした男が二人。一人が中年でもう一人は若い。彼らの姿を見て、珍保長太郎の目が狂気で光った。バカが話していた刑事らしい。憎しみのこもった目で二人を睨みつける珍保長太郎。よくわからないが、睨まれてるので睨み返す刑事。しばらく無言で睨み合った。
 彼らは北沢警察署の刑事だと自己紹介をした。中年の方が巡査長の青田剛、もう一人の若い方が、赤井達也で身分は巡査。珍保長太郎はさっそく二人に『刑事青赤』と名付けた。
「我々はウンコキラーの連続殺人事件を捜査しています。ラーメン珍長さんは、この商店街でもう10年も商売をしているそうですね。なにか不審者を見たとか、怪しい人物を知っている、とかいう情報はないでしょうか」青の方がおんけんに質問する。
 だが、珍保長太郎にはそれがまるで蟹工船の小林多喜二を拷問している警官のような口調に聞こえたらしい。きちがいだから仕方がない。店長の顔色がみるみる険しくなっていった。
「ここで10年やっているそうですね……だと? つまり俺の情報を前もって調べたということか。 なんの疑いのない人物の経歴など調べるわけがない。この俺が……」大きく息を吸う珍保長太郎。「容疑者として浮かび上がっているということかッ!?」
 ちょっと驚く刑事青赤。駅前商店街のただのラーメン屋に聞き込みに行ったら、どう見ても殺人鬼にしか見えない人物が出てきたのである。こういう手合いはかえって困る。彼らはすっとぼける犯人を追い詰めるのは慣れているが、全身から犯人です!と主張しているような人物は、どう扱ったらいいかわからない。
「ええと……」絶句する刑事青。
 店長がよくわからないが、いきなり警察に食ってかかってるので、バカは慌てていた。なにかが店長の琴線に触れたのであろう。この店長、尊敬はしているのだが、気が小さいくせに気が短い。バカは手振りで店長を止めようした。だが、珍保長太郎は目玉を充血させて絶叫した。ゴリラのようにうでを振り回す。
「この腐れ犬どもめッ!」
 警察官といえども人間である。こういう態度に出られてむっとしないわけがない。
「お前ッ!後ろめたいことがなんかあるのかッ!」刑事青が珍保長太郎に負けない大声で怒鳴り返した。凶悪な犯人を相手にするのは慣れているのである。ちょっとひるむ珍保長太郎。やはり、気が小さい。「経歴など調べていないッ!商店街で聞き込みをしていて、ここで聞くと良いと言われて来ただけだッ!だが、店長がこういう人物だとわかって俄然興味がわいたよ。どれどれ、名前は珍保長太郎か!」刑事青は壁に貼り付けてある食品衛生責任者の許可証の名前を見て言った。慌てて、珍保長太郎が飛びついて名前を手で隠そうとする。もちろん、すでに読み上げられているのだから手遅れである。ますます怪しい挙動のラーメン店店主を見て、刑事青はつけくわえる。「そういえば、同じく商店街で、あんたが出入りしていた暴走族に大怪我を負わせたという話を小耳に挟んだぜっ! 根っから暴力志向のある人間のようだなッ!きさまはッ!」
「な…なにをッ!」本当のことを言われて、うろたえる珍保長太郎。
「カッとするとなにをしでかすか、わからない人間なんじゃねえのか、お前ッ!」恫喝する刑事青。まったくその通りです、とバカは内心うなずいていたが、命が惜しいので顔には出さないようにした。
「クズはクズだッ!クズを殺してなにが悪いッ!クズを人間扱いする必要はないッ!」どんどん一人で犯人になっていく珍保長太郎。会社では絶対に出世しないタイプである。「もちろん、この『殺して』というのは例えで現実に殺したという話ではないがね!」いちおう、言いつくろったがなんの弁護にもなっていない。
 相当に機嫌が悪くなった刑事青赤。勝手に激怒しはじめた珍保長太郎を、あやしそうにジロジロと見つめる。どうやら、確実に容疑者リストのトップに躍り出たようだ。バカが援護に入る。
「どうも、すみません。てへってへっ。この人、いわゆる『ガンコ店長』ってやつで、気が難しいんですよ。頭の中の配線がどこがどこにつながってるか、さっぱりわからない。すぐに変なスイッチが入る。でも、口は悪いんですが性格はもっと最悪なんですよ。その代わり……」変な間を開けるバカ。「ラーメンの味はもっとまずいんですよ!だから、気にしないでください」なにを言ってるのかわからないが、とりあえず店長をかばってるつもりのようだ。このバカは、世渡りがうまいのか悪いのか、よくわからない。
「また来るからな。こんどはそのまずいというラーメンを食ってやる」捨て台詞を残して出ていく刑事2名。
「塩だッ!塩をまけッ!」珍保長太郎はバッサ、バッサと去っていく刑事の背中に塩を投げつけた。「鬼は外ッ!鬼は外ッ!」混乱してるようで、かなり間違っていた。


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・死にかけ老人

 この世には生きている人間と死んだ人間がいる。死んでいない人間はだいたい生きている場合が多い。だが、中には幽霊でもないのに生と死の中間くらいのポジションを保持しているものもいる。珍保長太郎が『死にかけ老人』と呼んでいる大山田統一郎はその一人だった。年齢は知らないが80は越えていると思われる。
「バイタルチェックのお時間ですよ!このいまいましい死にかけたもうろくジジイッ!」ミザリーこと神保千穂の完全にイライラした怒鳴り声が聞こえた。珍保長太郎は老人ホーム『天国の門』に伸びたラーメンの出前の配達に来て帰ろうとしていた。すると、どこかの部屋から、けんのんな声が聞こえてきた。珍保長太郎は不審に思って裏庭に回って窓から覗いてみることにした。
「ふがふが」死にかけ老人が生きているだけでも苦しくてたまらないという調子で答えた。どうやらこの老人ホームでは、毎日一回、健康チェックをするようだ。部屋の中には臭そうなベッドが4つあるが、老人は死にかけ老人一人しかいなかった。他の三人はすでにミザリーが息の根を止めてしまったのかもしれない。
 こんな人間のクズでも看護師の資格があるのか……。珍保長太郎はいきどおって考えた。大阪の漫才師のような頭を見ているだけで不愉快になる。警察は信用ができない。いっそのこと、自分が正義の使者となり勝手にこのババアを殺したほうが、世のため人のためなのではないか。
「首筋で脈を測りますよ!おや、もうほとんど死んでいるから、脈拍がゆっくりね。しかも、弱い……。これなら、ちょいと血管を止めたら、なにも苦しまないでキュ〜ッと死んで、しかも、自然死と思われてしまうのではないかしら?オホホホホッ!」悪魔のような笑い声をあげるミザリー。今日も頭のリボンはピンク色だった。
「いやじゃあ、わしはまだ死にとうない。死にたくない。たとえ、どんなに弱って虫のようになっても、植物人間になっても、身体中にいろんなパイプや電線をつながれて老醜をさらしても、できるだけ生きていたいんじゃ〜」泣きがなら訴える死にかけ老人。人生をあきらめてはいないようだ。
「なにを言うんだッ!バカものッ!馬の糞!」激怒するミザリー。
「えっ……」どうしてここで怒られないとならないのか理解できない死にかけ老人。
「この世には生きたくても、いろんな理由で生きることができない人間がたくさんいんるんですよッ!かわいそうにッ!本当にかわいそうにッ!」ろうろうとまくしたてる看護師の免許を持った介護士。「それなのに、お前のような一切生きていく価値のない人間に限って長生きしたいなどと寝ぼけたことをほざくッ!ほざくなっ!これ以上、ほざくなっ!私は長年の看護師と介護士の人生で、長生きすべき人間が死に、早く死んでほしい人間がいつまでも生きているというこの世の矛盾に、さいなまれてきました。世の中間違っていますッ!早く死ねっ!早く死ねばいいのにッ!」
「なにを言っとるのかよくわからん〜。ええ〜ん。ええ〜ん」とうとう泣き出してしまう老人。
「それはつまり、お前が生きている価値がない人間だから理解できないということですッ!」
「ひ……ひどい!なんで断定するんじゃ〜。わしは虫も殺せない人間なのに〜」いちいち、めそめそする老人。おそらく、心の中がもうろくして弱くっているのであろう。覗いてる珍保長太郎はちょっとイライラして、うっかりミザリーを応援したくなってきた。
「でも、あたしは介護士!聖職です!厳格な倫理基準に基づいて生きています。だから、さくっと殺したりはしません。しませんけど……」冷血な顔で死にかけ老人の首に手をかけるミザリー。
「む……」ぎょっとする無力な老人。もともと顔色の悪い顔の血の気がさらに引いて群青色になる。
「脈拍が弱すぎて正確に測れないから、もっときつく首を絞めて血管の圧力を上げて測定するのは、医療的に正しいと思いますわッ!オホホホッ!」きゅ〜ッと年寄りの首を絞めるミザリー。
「むく……むく……」声にならない声をあげて、壊れた操り人形のように手足をばたばたさせる老人。
「それ、キュ〜ッとな!それ、キュ〜ッとな!」にやにやと笑うミザリーの、意外ほど力の強い指が死にかけ老人の首に食い込む。
 それほど力はあるように見えなかったが、ハードな看護師や介護士の生活を長くやってると、かなりの筋肉がつくのかもしれんな。窓の外で珍保長太郎は、意外な発見をしたので感心した。
「ほほう」例によって思ったことがつい口から出てしまう。やばいと思ったが、部屋の中のミザリーと老人の肩越しに目が合ってしまった。毒蛇が心優しいヘレン・ケラーに見えるほどの形相で、窓の外の珍保長太郎をにらみつける。
 ひええええええ。珍保長太郎は真っ青になりカエルのように動けなくなった。だが、ミザリーはにわかに微笑みを浮かべて、首を絞めていた指の力を抜いた。
「ほほほっ。血圧はかなり低いけど正常なようね。身体中にがん細胞がひろがって手遅れになっている以外は健康そのものです。あら、ちょっとブラックジョークだったかしら。うふっ」急に態度が豹変したミザリーにぼうぜんとする死にかけ老人。年寄りなので頭の切り替えが早くできないのである。
「お達者ですね」ミザリーはにこやかに捨て台詞を残して出て行ったが、その前に窓の外の珍保長太郎を、睨みつけるのを忘れなかった。
 じょじょじょよぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ。恐怖のあまり珍保長太郎はおしっこを漏らした。


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